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あなたの本当の名前はなんていうの?

人の噂は面白いもので、本人にとっては途方もない話がまことしやかに流ることがある。自分にとって最も困ったネタが「ワシキタは英語がペラペラ」という話だ。というのは自分は、高校を英語で留年しそうになったぐらいだし、大学でも4年次まで英語の単位は取り切れなかった。自分から見れば、周りのみんなこそ「英語が得意」なはずなので、そんなウワサが流れるのは迷惑この上なかった。

だがなぜ英語がうまいという噂が立つのか、理由は分かっていた。自分が臆せず外国人と話をするからだ。多くの人は英語にアレルギーがあって、コンニチハーぐらいの簡単なことすら口を開こうとしない。自分といえば、コミュ障を逆手にとって「通じなくても適当にしゃべり続ける」という技を使って話すのが好きなので、英語しか使えない環境でも英会話でペラペラしゃべっているように見せかけるのが上手い。この癖はかなり危険で、文意を正反対の意味にとらえて完璧に誤解するということが頻繁に発生するデメリットがある。つまり相手はyesと言っているのにnoだと勘違いしたりとか、質問されているのに気づかずに無視するとか聞かれていないことを答えるなどということが頻繁に発生するのだ。これはビジネスでは非常にマズい。

それなのに15年ほど前、仕事でボストンのオンラインゲーム開発会社 — Turbineと付き合うことになってしまった。

ボストンチームとの思い出

このプロジェクトでは、アメリカの開発会社と共同で仕事をすることになるので、当然英語でのやり取りが中心になる。そこで英語のサポートも確保しなければならない、ということで通訳のスタッフも何名か確保したのだが、常に十分な数が確保できるとは限らない。チーム全員でボストン出張に行くこともあったが、もっとも優秀な通訳は契約書を扱う社長やマーケットチームに付いていってしまい、エンジニアチームは「自分でなんとかしてくれ」と言われてしまう。結局自分は自分でなんとかしないといけないのだ。だがまあ技術に関する話題なら、大半の技術用語はもともと英単語だし、それをくっつけて話せばだいたい通じるってんで、おおむね問題なくミーティングはこなすことができた。この頃、routerやSQLのアメリカンな読み方を覚えたものだった。

個人的に難しかったのは、localizationに関する事柄、特に日本語の諸事情をアメリカ人に説明することだった。翻訳にあたっては英文スクリプトを日本語に訳し吹き替える作業をするのだが、初期のスクリプトは文脈が乏しく、誰がどういうシチュエーションで話しているのかが分からなかった。そこで向こうのプロデューサに対して、日本語は男女ごとに言葉使いが違うとか、lawfulやgoodのキャラには敬語を使わせたい、badやevilには汚い言葉をあてがいたいとか、そもそも敬語というのがいろいろややこしいとか、そういえばbrother/sisterも年齢の上下で呼び方が変わるとか、そういう事情を延々と説明した。その上でどうやったらうまくスクリプトに情報を盛り込めるか、翻訳がスムーズに進められるかというような調整を頼み込むのだ。もちろん、互いにD&DのテーブルトークRPGのプレイ経験があるため用語の問題はないのだが、実は「テーブルトークRPG」は和製英語なのでこれが通じないというおかしな状況が発生したりしてちょっと面白かった。

Trivia Night

ボストンのゲーム開発会社はとても面白いところで、年がら年中分厚いカーテンを閉め切り真っ暗な部屋で仕事をしていた。プログラマもデザイナーも文字通り洞窟のような真っ暗な事務所でモニタの明かりだけを照明にしていた。映画やアニメファンが多いのか、あちこちにポスターやプロップが置いてあり、むろんゲーム関連のグッズも大量にあった。日本製のものも多く、日本からきた我々も気前よく受け入れてもらえた。我々もスタッフが喜びそうな土産を持っていくようにしていた。ちょうどFFの新作が出る直前だったので、ファミ通の最新号を買っていったりした。お返しに移籍直後の松坂のユニフォームを貰ったりした。

食事にもよく連れて行ってもらった。自分はハンバーガーが大好きなので、アメリカンな食事に閉口するということはなかった。特にエンジニアチームで行ったパブは居心地がよかった。面白かったのは、パブが毎週定期的に開いているTrivia Nightというイベントだった。これはテーブルごとのグループ対抗クイズ大会で、店のオーナーが出すクイズを解き、最多正解チームがささやかな商品を貰えるというものだ。出題される問題は、多くがアメリカ人向けのもので日本人には難しすぎてチンプンカンプンだったが、雰囲気が面白くて開催されるときにはなるべく顔を出すようにしていた。ときどき「ロッキーズを相手にノーヒットノーランを達成した日本人ピッチャーは誰?」みたいな問題が出るので、正解に貢献できることもあった。

何度目の出張のときだか忘れたが、さくらから一人だけでTrivia Nightに参加したことがあった。例によって難しい問題が多かったが、ひとつだけ分かる問題があった。

「世界で最初に臨界に達した原子炉は何州にあったか?」

テーブルにいたボストンチームはみんなネバダじゃないかと言い合っていたので、思わず口を挟んだ。

「何州か分からないんだけど、シカゴ大学のはずだよ。シカゴってどこなの?」
「イリノイだな」

そこでみんな、なんでお前がそれを知っているんだ? という顔になったが、誰もその質問は口に出さなかった。まあそれは聞きづらいだろうな、と自分も思ったので言わないようにした。果たして、その問題は正解だった。でもたぶん、日本人が全員それを知っているわけではないと思う。

本当の名前は?

エンジニアチームの主な任務は、ゲームシステムを日本で構築し動作させることだった。そのためにサーバとネットワークの構成に関する説明をみっちり受けたのだが、最後にオマケとしてサーバを収容しているデータセンターを見せてくれた。15年前のことなので、まだ物理サーバで動いていた時代の話だ。車に乗って1時間ほど飛ばしてキャリア系のデータセンターに案内された。外から見ると、大きな体育館ほどの建物だったが、中に入ってみると2フロアしかないという、いかにもアメリカンなデータセンターだった。当時の日本では見られないようなすごい設備だった。正面の玄関から入ると受付があり、窓口で入館手続きをした。そこで身分証明書を見せることになったのだが、パスポートを引っ張り出したときに初めてこんなことを聞かれた。

「あなたの本当の名前はなんていうの?」
「え? Kenだけど」
「そうじゃなくて、パスポートに書いてある名前という意味だけれど」
「パスポートに書いてある名前がKenだけれど」
「ああ! そうなの。じゃあ問題ない」

最初はよく意味が分からなかったが、名札を受け取りゲートを通り過ぎたぐらいのところでようやく意味が分かってきた。どうやらボストンチームは、自分がKenと名乗っているのは英語風のファーストネームを自称しているだけで、日本語の本名が別にあると考えていたのだと。

ボストンの会社には、中国系のスタッフはたくさんいたが、日本人は一人もいなかった(いたかもしれないが誰も紹介してもらわなかった)。中国系のスタッフはみんな、英語風のファーストネームを名乗っていたが、本名はちゃんと中国の漢字の名前を持っていた。親しくなってから中国名を教えてもらったりもした。だが自分やほかの、アメリカ滞在歴数日というさくらの社員はみんな、自分の名前をそのまま名乗っていた。いちいち短い名前を考えるのは面倒だと思っていたのかもしれないし、それが問題になるほど長く滞在することもなかったからかもしれない。それがデータセンターの入局のときに、初めて意識させられたのだった。

英語はいるのかいらんのか?

ボストンチームとの思い出は総じて楽しかったが、英語の仕事はこれ以降やっていない。ちなみにこのプロジェクトにかかわる前も最中も特に英語の勉強はやっておらず、困ったときは電子辞書でなんとか切り抜けていた(当時はまだスマホ前だった)ので、まあ果たして一人前の仕事ができていたのかどうかも謎である。評価は読者に任せたい。

ちなみに今現在も英語の勉強は嫌いで、自動翻訳が活用できるならそれに越したことはないがいまいち信頼できず、でも自分の誤認率よりもだいぶ成績は良くなってきたみたいだし機械任せにしてもいいのかなという気分になってきている次第である。

参考リンク