ネット時代に読むパイドロス
高校生の頃に愛読していた「ご冗談でしょう、ファインマンさん」に、哲学専攻のゼミで「一個のレンガは本質的対象か?」という議論をするエピソードが出てくる。ごく簡単な質問でも、哲学のゼミが紛糾してしまうという、哲学嫌いなファインマン先生らしいエピソードのひとつだ。自分にも似たような経験がある。やはり高校生の頃、とある先輩によくある議論を吹っかけられたことがある。
「とある大きな森の中で、1本の木が倒れたとする」
「はあ」
「あまりにも大きな森なので、それを目撃した人間は一人もいないのだ」
「へえ」
「そのとき、その木は倒れたといえるか? お前はどっちだと思う?」
「それは倒れたんでしょう」
「……即答だなあ、何でそう思うんだよ」
「だって先輩、最初に木が倒れたって設定しましたよね。だから倒れたんじゃないですか」
「いや俺が言いたいのは、誰も見ていない事象は発生していないとも言えるのではないかと」
「まあそうかもしれませんが、でも最初に『木が倒れたとする』って言いましたよね、だから倒れたんじゃないんですか」
まあ、こんな調子だった。
[続きを読む]COMPCOOLERを試してみた
最近の小学校は5月に運動会をやる。自分の時代からは考えられない話だが、まあそういうことらしい。5月なら涼しいからいいかなあと思いきや、異常気象はさらに上をいくようで、結局30度の炎天下のなか運動会をやることになってしまった。
[続きを読む]抽象化とメタ思考
人と議論をしていると、ときどき抽象化という言葉について説明しなければならないときがある。しかし「抽象」という概念は非常に抽象的で、説明が難しい。「メタ」という言葉も説明が難しいという意味でよく似ている。自分は何気なく抽象化を使いこなし、メタな議論をしているのだが、それをどうして、どうやっているのかをうまく説明できない。これは本当に使いこなしていると言えるのだろうか、と当然ながら疑問が沸く。
[続きを読む]THcompとその時代
1989年の「ネットワーク」というのは、パソコン通信のことだった。パソコン通信が提供するサービスは掲示板とチャットサービスなのだが、その提供方法は中央にあるホストサーバに対して、公衆回線(電話)を使って接続するというやり方だった。クライアントはパソコンなのだが、当時はPC-9800シリーズ全盛期で、他にもメーカーごとに特色のある色々なパソコンが発売されていた(そして相互に互換性がなかった)。パソコンにはモデムを接続し、ファクシミリのようにピーヒャララと音を立てながらデータをアナログ信号に変換してホストと通信していたのだ。
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